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日本の無患子

岐阜県 阿夫志奈神社

日本の神社と無患子の関係を探るため今日はこちらへお邪魔してきました。
12月に入り、ムクロジの実もたくさん落ちている頃でしょう…

境内へ入ると、さっそくとても立派なムクロジの木がお出迎えしてくれました。
葉っぱはすでに落ちていて、むき出しになった枝と実がチラホラ。
近くにいた宮司さんに樹齢を伺いましたがわかりませんでした…
この時期になると毎年、ムクロジの実を拾いに来てその種子をブレスレットにされる方が多いとか。
通りで、ムクロジの実はすっかりなくなっていました。
ところでなぜ境内にムクロジを植えたのかをお伺いしてきましたが、その理由はわからずでしたが、今でもお守りのようにその種子を集める方がいらっしゃる事が分かりました。

阿夫志奈神社境内は神域だった為、ムクロジ、イチイガシ、カゴノキ、ツブラジイ、スダジイなどの古木大木が多く、近くには川も流れ太陽の光は強く
独特な空気感でした。

【境内社】大須稲神社・乙姫神社・和田住神社・東武神社・東照神社・稲荷神社 愛宕神社・八幡神社・金刀比羅神社・山形神社・神明神社
        
阿夫志奈神社

于時人皇52代嵯峨天皇御宇、弘仁9年春天下に大疫流行、万民臥悩する者莫なり。然る所勅命により日本の大小の神社に於いて疫病神斎のご祈祷を為し給ひ、右祭神伊邪那岐命伊邪那美命素盞鳴尊の神璽を斎ひ鎮め、疫神を退け、天下安堵の思ひ為す。茲に川辺郷一同随心し、同年9月26日神永洞天皇山の頂に社頭建立し、専ら祈誓奉る。郷民穏やかなり。依って右郷惣鎮守阿夫志奈と敬し奉る。而して神託により、貞観元年11月13日厚朴の森の地に遷し奉る。この時新嘗会の儀式を為す。而して39年の間此の地に鎮座既にして、寛平9年9月14日御手洗水の霊験に依り芳賀の地に遷し、後人皇60代醍醐天皇勅命により、延喜年中神祇伯従五位上卜部日良麿日本■祇管領を命ぜられ式内神社と定め賜ふ。当国三十九座の内阿夫志奈神社是なり。故に神祇最上斎場所垂跡を賜ふ。国司階堂山城守藤原行政殿極めて信仰厚く、祈る所成就布かして当国稲葉山在城の時、即ち建仁2年4月14日下屋敷を賜ふ。本社拝殿共改造せられたるもの今尚現在たり。
岐阜県神社庁

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